増田町は江戸時代から商業が盛んになり、葉タバコや生糸など物資の集散地として賑わいをみせました。
明治期には増田銀行(北都銀行の前身)をはじめ水力発電、陶器生産などの会社が興った地域でもあります。
中七日町通りの地割りは、間口が5〜7間(9〜12.6メートル)と狭いが、奥行きは50〜100間(90〜180メートル)近くもある極端な短冊形。
伝統的な建物は、通りに面した主屋から、内蔵、外蔵と続く独特の商家建築となっている。国の登録有形文化財に登録されている建物もあります。
内蔵とは、主屋と一体となり、全体が上屋で覆われた土蔵。
家財を保管する文庫蔵、座敷などがある生活空間の座敷蔵などに機能が分かれる。扉に黒漆喰を施したり、細部の飾りに趣向をこらしたりするなど内外部の装飾が美しいものもあります。
内蔵と同じ様式の土蔵は、雪国を中心に各地に見られるが、増田町のように約400メートルの通り沿いに集中して現存している地域は珍しいようです。