仙北市の劇団わらび座は、秋田県出身の作曲家・成田為三の生涯を描いたミュージカル「為三さん!」を公演中です。
為三が作曲した第三楽章『♪秀麗無比なる 鳥海山よ―』は、現在でも秋田市や湯沢市、東京でも公演されている「おおいなる秋田」で多くの人に歌い継がれている秋田県民歌です。
●物語
大正3年冬、秋田駅のホームから成田為三の物語は始まる。
上野の音楽学校を卒業後、「浜辺の歌」が大ヒットすると一躍作曲家の仲間入り。新進気鋭の作曲家として忙しく過ごす為三に「秋田県民歌」の作曲依頼がくる。作詞は同級生の倉田政嗣。
友人との曲作りは、故郷と音楽への情熱を益々燃え上がらせた。しかし、そんな為三の元にも戦争の足音は迫ってくるのだった―――
「ふるさとみたいな歌を作ろう」夢を見続けた為三さんの情熱が、人々の心に光をともす!
●成田為三(1893~1945)とは?
現北秋田市米内沢に生まれる。秋田師範卒業後、毛馬内小学校で一年間鞭を執り、東京音楽学校(現東京藝術大学)に入学。在学中、「はまべ(浜辺の歌)」を作曲する。
雑誌「赤い鳥」専属作曲家として子どもたちのために多くの作品を発表。ドイツ留学後の1930年、「秋田県民歌」を作曲(原詩は秋田師範の同級生である倉田政嗣)。
1945年4月、空襲で焼け出されて東京から秋田に疎開。戦後、作曲家としての新たな夢を持って10月28日再び上京するが、翌29日脳溢血により倒れる。
成田為三亡き後も「秋田県民歌」は歌い継がれ、三大県民歌の一つと呼ばれている。
舞台はコメディータッチで展開され、為三が音楽学校時代、片思いの相手の女性に「浜辺の歌」の楽譜を贈ったとも伝えられ、その場面がミュージカルの見せ場の一つとなっています。
初めてわらび座の脚本・演出を担当した、脚本家の鈴木聡さんは、「酒飲みで頑固で内向的という〝秋田の男〟の側面にも触れながら、素晴らしい曲を残した為三を伝えたい」と話しています。
「為三さん!」は、来年1月3日までの公演が予定されておりますので、成田為三の生涯を描く、劇団わらび座の熱演を是非ご覧ください。
≪わらび座様オフィシャルサイトで公演日などご確認いただけます↓≫
http://www.warabi.jp/